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バルカン半島

2008年11月16日
スロベニアの港町 ピラン
イタリアはブーツの形をしており、ローマ、ミラノ、トリノ、ナポリ、フィレンツェなど名立たるまちは西側の海岸沿いか、西側の海岸からそう遠くないところにある。例外はヴェネツィアが東側のアドリア海に面しているが、総じて東側のまちは静かなまちが多く日本の日本海側の風景を彷彿させるものがある。
さて、今日の話はその東側のまちではなく、そこから海を隔てた向こうの旧ユーゴスラビアの国。旧ユーゴスラビアは様々な民族からなる連邦国家であったが民主化後、内戦を繰り返しながら順次独立していった。今は北からスロベニア、クロアチア、ボスニアヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアに分かれている。僕がスロベニアとクロアチアに行ったのは6年前で、当時ボスニアより南側はまだ外務省から渡航自粛勧告が出ていた。
スロベニアは200万人の国家で首都はリュブリャナ。写真をみるとたぶん他の西ヨーロッパの国と区別はつかないと思う。大きな国ではないが、国土がイタリア・オーストリアで直接接していることもあり町並みは洗練されている。クロアチアは450万人、首都ザグレブは100万都市だが正直あまり魅力的とは言えなかった。行くならばドブロブニクやスプリトなどの海岸沿いのまちに、しかもイタリアから船で行くと楽しいだろう。
見どころも多い国々ではあるが、内戦は民族紛争であったため相当激烈だったようだ。そしてこのように民族のるつぼのようになった背景はオーストリア、ハンガリー、トルコの支配を受けた。特に16世紀にオスマントルコに攻め込まれ、首都ウィーンを包囲されるという非常事態に陥ったオーストリアはトルコからの通り道であるバルカン半島の諸民族をトルコとの緩衝地帯と位置付けていたようだ。
その後、西側の国が国民国家となり民族意識が高まってくると、バルカン半島自体が火薬庫と呼ばれるようになり、オーストリア皇太子をサラエボで暗殺し、これをきっかけとして起きた第一次世界大戦でオーストリア帝国そのものを崩壊させることになる。今はまちを歩いてもそんな爪痕はほとんどないのだけれど。
堅い話になったので、最後に食べ物の話。イタリア料理でマケドニアというデザートがあって、フルーツポンチがでてくる。果物がいろいろ入っていることを民族のるつぼに例えてこの名がついたらしい。

写真はスロベニアの港町 ピランでござる。
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Comment
No title
マケドニア
フルーツポンチに名前が確かにあります

名前の由来がおもしろいですね
No title
ryuji_s1さん。コメント有難うございました。今まで頂いたコメントは誰から頂いたかはっきりわかったのですが、今結構ドキドキしています。
気になったので「フルーツポンチ」の語源をwikipediaでみたら、ポンチはヒンディー語で5だそうで、やっぱりいろんなものが入っているという意味なんだそうです。
前から気になっているのですけど「イカレポンチ」の「ポンチ」の語源は多分違いますね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q111094326

をみると、いろんな語源の説があるみたいです。

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