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ピクニック事件

2008年11月03日
ハンガリーでピクニック事件が起きたのは1989年のことである。「ピクニック」というイベントがオーストリア国境のショプロンという町の近くで開催され、そこでオーストリアへの国境が開かれるという噂が流れたため、当時東ドイツの国民が大勢来てオーストリア経由で西ドイツまで行ったという、まさにベルリンの壁崩壊少し前の出来事である。
こんなことができたのは、東側の国であるハンガリーがオーストリアを目指す東側の人に国境を開けたからに他ならない。が、その背景は複雑だ。
第一次大戦が始まるまでハンガリーはハプスブルグ家の支配するオーストリア帝国の一部であり、途中ハンガリー側の民族意識の高まりとともに、オーストリア=ハンガリー帝国という二重帝国(オーストリアもハンガリーも別の帝国であるが、ハプスブルグ家が両方の帝を兼務する)になる。たしかハンガリーはフン族の国という意味でアジア系の民族だ。ちなみにフィンランドもフン族の国という意味だ。
当時のオーストリア=ハンガリー帝国は今でいうチェコ、旧ユーゴ、ルーマニアなども領土にしていたから、次第にこれらの国にハンガリーの人が多く住むようになる。それが二度の大戦の中で、ハンガリー系の人をそれぞれの国に残したまま独立していくことになるが、ルーマニアでは第二次大戦の後チャウシェスクが政権を獲る。チャウシェスクは1980年後半、東欧各地で民主化運動が行われる中で特に激しく抗議する国内の異民族の弾圧を始める。ルーマニアはロマニシュ系の民族でこれまた周囲とは別の民族だということもあるかもしれない。ハンガリー系の人も弾圧の例外ではなかったため、ハンガリーは東側の国の中で唯一国連の難民条約に加盟する。そして東ドイツの人々を政治難民とし、西側に送るという決断を下す。ベルリンの壁が崩壊するのはその三ヶ月後である。
あっ、オチはありません。我ながら何で書いたんだろ。
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