スポンサーサイト

--年--月--日
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告

守護神

2009年05月07日
今年のゴールデンウィークは久しぶりに奈良に行った。なぜ奈良かといえば、大阪で戸籍抄本の写しをもらう必要があったので、そこからさっと行ける所というのが理由だ。パスポートの期限が切れたのじゃよ。

ちょうど興福寺の阿修羅像が東京に来ているので見ることができなかったが、東大寺の広目天や新薬師寺の十二神将、薬師寺の薬師如来など、他にも見るべき仏さんは多い。
この稿はとりあえず、広目天について。広目天はいわゆる四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)の1つで、千里眼が特長である。昔、蘇我氏と物部氏が争った際に、蘇我氏側についた聖徳太子が勝利に感謝して四天王寺を建てたくらい霊験あらたかだ。ただ、基本的に武家は戦勝を仏でなく神(戦勝祈願は八幡神社へどうぞ)に祈るだろうから、仏さんを守る守護神が全国の武士に篤く崇拝されていたわけではない。ただし、上杉謙信が信仰した毘沙門天は多聞天のことだ。

ちなみにwikipediaによると、四天王の寿命は500歳らしいから聖徳太子の時代に生きていたとするととっくに死んでいる。わかりやすく、仮に西暦500年から500年生きて蘇我氏を勝利に導いて1000年に死んで二代目にバトンタッチしたと考えると、1000年前後は先代が老い、二代目が生まれたばかりで何もできないから世の中が乱れるのは当然であり、それを源頼朝が1200年代手前でようやく平定したということで辻褄があう。二代目は1300年代にはイケイケで室町文化の花開くが、1400年代後半には諸事ままならなくなり、再び世の中が乱れ戦国時代に突入する。その最中に三代目に引き継がれ、三代目は生まれた直後からあちこちに引き回され、ようやく1615年に大阪夏の陣で家康を勝たせてなんとか形になった。苦労の甲斐もあり、その後の天下泰平は三代目の貢献大である。
その三代目も、1900年代に入ると老境の身でグローバル化の波に洗われ、1910年代、40年代の二つの大戦に手をこまねく始末。2000年問題で世間が喧しいなか、ひっそりと四代目に引き継がれ、四代目はテロとの戦いという史上かつてない戦いに対峙することになる。

すみません。書き始めたら止まらなくなったので、奈良に行った話とは何も関係ないがアップしてしまった。
次から真面目に書きます。

追記:四天王は守護神といわれる。十二神将もそうだが、言葉の通りだとすると神である。このインド由来の神と日本神道の神様がどういう関係にあるのだろうか。最近神や仏について少し学習しているので、わかったら書く。若様も全国の神社仏閣を訪ねているようなので、ご存知でしたら教えてくださいね。
スポンサーサイト
未分類 | Comments(0) | Trackback(0)
Comment

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。