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同一人物か

2010年11月22日
「自他共に認めるラーメン好き」と言う人と「自他共に認めるお笑い好き」と言う人は、かなりかぶっていると思う。
自分が思っているほど他人は認めていない、という点において。

あと、「あそこのラーメン食べて美味しいと思ったことは一度もない/あの漫才聞いて面白いと思ったことは一度もない」と言いたがることも共通。
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Fine Art

2010年11月22日
週末に美術館に行ったのは、金曜日に仕事のパートナーさんが別の美術展のチケットを持って来られたのがきっかけだった。そのチケットは関心を持ったほかの社員に渡したが、そのテーマである芸術とテクノロジーの融合みたいなものが少し頭に残った。

そもそも芸術とテクノロジーは不可分である。チューブ入り絵の具とカメラの発明(あと一つは市民革命)が印象派の成立する背景にあったし、鉄筋コンクリートの成立により建築物のデザインの自由度は極めて高くなった。
先に書いたデューラーの版画も、宗教書の挿絵として当時発展した印刷技術と相まって、宗教改革の進むヨーロッパ中に広く伝播する。

東洋は特にそうだ。以前の日本家屋や寺社仏閣に絵を描いて飾るという習慣はなく、絵画は屏風などの家具や食器に描かれていて、美術は純粋な鑑賞の対象としてではなく道具とともに存在してきた。逆に言葉(文字)を書として額や掛け軸に飾る習慣は西洋にはない。
地震が多いこともあり西洋の大学では芸術の領域に入っている建築は日本では工学部の下にある(韓国はどうなんでしょうね)。

チケットをもらったイベントは行っていないのでわからないが、芸術とテクノロジーの融合と言うと、なんだか音や信号を使ったキッチュなイベント的なのも少なくない。で、製作者は揃って、わかる人がわかればそれでいい、みたいなことを
そうでなくて、日常の中にアートを取り入れるようなベクトルの方がしっくり来る。東洋人だから。
あるいは、日常とアートの距離観が時代によって変わって来ているのだろうか?
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谷中、上野、秋

2010年11月22日
今日は久しぶりに谷中から上野を散歩した。
JR日暮里駅で電車を降り、谷中商店街でメンチカツを食べいせ辰へ。少し前に比べておされな店と外国人が増えたような気がした。

cat.jpg


谷中から上野へ。西洋美術館でデューラーの版画展をやっていたのでみた。彼は15世紀後半に活躍した人で、新しい技法(ドライポイント)を取り入れたり、当時技術進歩の著しい印刷技術のおかげで、版画が書籍の挿絵に使われたりした。今でいうハイパーメディアクリエーターみたいなものか。
以前、ミュンヘンで四人の使途という彼の大作(油絵)をみたことがあったが、版画は繊細だった。

正直若干退屈だったこの展示を出ると、上野の公園は晩秋まっただ中だった。
MRMRS.jpg

上野駅の定食屋でご飯食べて帰ろうかと思っていたら、上野駅コンコース内のお店は大改装みたいで、KIOSKと弁当屋以外はすべて閉まっていた。仕方なく池袋まで戻ってデパ地下寄ったら、甘鯛の照り焼きの入ったお弁当が400円だった。
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